きんいろモザイク2期が僕達を楽園へ導く
幸せかどうかは、自分次第である
2015年4月5日が何の日かご存知だろうか。
言うまでもなく、きんいろモザイク2期、「ハロー!!きんいろモザイク」の放送日である。
僕はきんいろモザイクが大好きだった。
ゆゆ式が僕達の目の前から消えた日、絶望に沈んでいたあの日々の中で、ニコニコ動画のランキングの片隅にいたきんいろモザイクはまさに光だった。
この「光」を理解できない人間に、僕達の高揚感を理解することは難しいだろう。
1章 きんいろモザイクと僕
前13年、エジプトに捉えられたヘブライ人達をモーセが導いたように、きんいろモザイクは僕の心の中の暗く、荒れた海を割り、僕達を導いた。
あの時の希望を、神の存在を信じて疑わなかったヘブライ人達の見たヤハウェこそが僕にとってのきんいろモザイクだった。
ユダ王国のユダヤ人が新バビロン王国のネブカドネザル2世によってバビロンに捕囚され、人以下の生活を送ったあの日々の中で、彼らは「選民思想」を強め、さらに信仰を深めていった。
日常アニメを失った日々、その中で僕たちは信仰を深めていった。
キュロス二世が絶望からユダヤ人を救ったように、きんいろモザイク1期が終わった時、僕達の前にのんのんびよりが現れた。
僕の稚拙な語彙力ではその言葉以外が見つからないが、のんのんびよりはメシアそのものだった。
僕達の心は満たされていた。
2013年の冬、僕たちの世界は再び雲に覆われた。何も見えない、真っ暗な世界。
でもそれはきっと僕にとっての楽園(Campanella)ではなかった。
そんな短い冬の雪を溶かすように、2014年春、「ご注文はうさぎですか?」が始まった。
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なぜだかは分からないが、僕はそれを好きになれなかった。
理屈じゃない。僕の心は跳ねなかった。
受験のプレッシャーというのもあっただろうが、とにかくその時の僕の心は満たされていなかった。
それ故の僕の2014年はまさに氷河期だった。
2章 再生
光陰矢のごとしとはよく言ったものだ。そんな2014年も今思えば一瞬に終わり、出会いと別れの春が訪れる。
僕の見ていた桜も、新しい住居も、友達も、大学も、音楽も、友達との会話も、全部モノクロだった。
大学生活にも慣れず、毎日に疲れていた中、ふと深夜にぼーっと見ていたテレビから懐かしい声が聞こえてきた。
美しい声、毎日のノイズが掛かっていたような周囲の音が鮮やかになっていくのが分かる。
美しい光、僕のモノクロの世界に色がついていくのが分かる。
美しい歌、僕はテレビに釘付けになった。
僕は、理想郷を見た。
3章 理想郷
中世、トマスモアが「ユートピア」を思い描いた。現代の人間がその実態を知ったらどう思うかは分からないが、少なくともその理想郷はあまりにも僕の理想郷とかけ離れていた。
第一、楽園という理想思想はプラトンの「国家」にまで遡る。
人は2000年以上、理想郷を追い求めてきた。
万人の持つ理想郷なんてものは存在しない。だが、僕は理想郷を見つけた。
人が2000年探しても見つからなかったものを、僕はたった18年間で見つけたのだ。
あまりにも偶然に、電子の砂漠の中を歩く僕に彼女は微笑んでいた。
正直言えば、きんいろモザイクは僕達を楽園に導くというのは嘘になるかもしれない。
きんいろモザイクは楽園を探し求める者のみを導く。
僕たちは気付くだろう。探していたものがこんな近くにあるなんて。
僕たちは気付くだろう。かけがえの無いものの尊さを。
僕たちは気付くだろう。鼓膜を震わす福音の音を。